招聘教授一覧

公開講座、公開レッスン及び個人レッスン等で、過去招聘した教授の一覧です。

アンジェイ・ヤシンスキ


チェンストホヴァの第二音楽学校を卒業後、国立カトヴィッツェ高等音楽院でW.マルキェヴィチに師事し、1959年優等賞を得て卒業した。1960-1961年には、パリにてマグダ・タリアフェロについて勉強する。1960年、バルセロナ:マリア・カナルス国際ピアノコンクール第1位受賞。C.ツェッチ指揮のイタリア放送交響楽団との共演によりトリノでデビューをした後に、旧ソ連、ドイツ、フランス、ウルグアイ、および日本で、数多くのコンサートを開催する。ポーランド放送交響楽団とのレコーディングも多数。1961年よりカトヴィッツェ音楽院.1973-1996年、同音楽
院主任教授。1973-1981年、シュトゥットガルトにて指導。K.ツィメルマンとK.ヤブウォンスキなどの優秀なピアニストを育てている。モーツァルテウム音楽院夏期講座、イモラ音楽院ほか、講座を務める。ワルシャワ、ブリュッセル、パリ、モスクワ、および東京など多くの国際コンクールの審査員を務める。

得意とする作曲家

ショパン(特にマズルカ)、モーツァルト

ピオトル・パレチニ


最も卓越したポーランド人ピアニストであり教授の一人である。ワルシャワのショパン音楽院でヤン・エキエールに師事し、これまでに5つの国際ピアノコンクールで入賞。第8回国際ショパンコンクールでの成功によって、5大陸全てにおいてのコンサート活動をこなす。またEMI、BBCクラシック、ナクソス、ポニーキャニオン、サウンドなどを含む多くのレーベルで録音、またワルシャワフィルハーモニー管弦楽団の第100周年を祝うガラ・コンサートに招待される。1993年よりドゥシュニキ・ズドゥルイで開催される、国際ショパンピアノフェスティバル(ポーランド最古の音楽フェスティバル、おそらく世界最古の現存している国際ピアノフェスティバル)の芸術監督に選ばれている。1998年にはポーランドの大統領から教授の称号を与えられた。ワルシャワのショパン音楽院にてピアノ指導としても従事し、前回の第15回国際ショパンピアノコンクール入賞を果たした日本人ピアニストの山本貴志も教え子のひとりである。2005年にはアーティストとして権威あるゴールドメダルを授与した。

得意とする作曲家

ショパン(特にポロネーズ)

クシシュトフ・ヤブウォンスキ


1965年ポーランドのヴロツワフに生まれる。6歳の時ヤニナ・ブトル氏に師事し12歳まで指導を受ける。12歳でオーケストラと共演、その後ポーランドで開催された数々のコンクールで1位に入賞する。1983年から1986年にかけてポーランドのカトヴィッツェ音楽院にてアンジェイ・ヤシンスキ教授に師事し、1987年に同校を優秀な成績で卒業、1996年にはPh.D.を取得。1985年、第11回ショパン国際ピアノコンクールにて3位に入賞、それと同時に数々の副賞も受賞。第2回国際ピアノコンクール(1988年)では第1位並びに最優秀ショパン賞を、第10回モンツァ国際ピアノコンクール(1988年)でも第1位を獲得、GPA国際ピアノコンクール(1988年)にて第2位、第4回アルトン・ルビンシュタイン国際ピアノ・マスターコンクール(1989年)にて金賞、ニューヨークウォルター・ナウムブルグ財団国際ピアノコンクール(1992年)入賞、第1回イーザー・オーネス国際ピアノコンクール(1992年)で第2位入賞。テレビ・ラジオ等の録音も国際的に行い、ドイツ・日本・ポーランド等で多くのCDを録音している。エキエル教授のナショナルエディションとして有名な版によるショパンの作品(練習曲・プレリュード・即興曲・管弦楽とピアノのための作品)3枚のCDを録音。
1994年以来ピアノ教育者としても活躍。ポーランドのヴロツワフ音楽院、カトヴィッツェ音楽院にて指導にあたり、現在はワルシャワのショパン音楽院にて教授の職を務めている。その他、各地のマスタークラスの講師や国際ピアノコンクールの審査員としてその教育活動の場を広げている。

得意とする作曲家

ショパン、バッハ、ベートーヴェン、ハイドン

ブロニスワヴァ・カヴァラ


1943年ポーランド・クラクフの音楽家の家庭に生まれる。クラクフ国立音楽学校では、マリア・ビリンスカ=リーゲロワ女史に、ワルシャワ音楽院ではヤン・エキエル教授のもとで研鑚を積み、首席で卒業した。卒業後、パリでナディア・ブーランジェ氏に音楽理論を、モニク・ハース氏にピアノを師事した。
またモーリス・ラヴェル国際音楽院では、フィリップ・アントルモン氏について音楽を学び、同時に室内楽も学んだ。1975年にはアメリカ・ワシントンで開かれたバッハ国際コンクールで優勝する。その後、リサイタルやオーケストラのソリストとしても活躍しており、ヨーロッパ、中国、カナダ、アメリカなど世界各地で演奏会を行っている。また世界の音楽祭からも招待され、ショパン音楽祭(ポーランド)、チェルトナム音楽祭(イギリス)、ボルティモア交響楽団・夏の音楽祭(アメリカ)などにも参加している。また、本国ポーランドではラジオ、テレビそしてレコード会社(ボルスキェ・ナグラニア)と録音を行っている。
一方、演奏活動の傍ら、ワルシャワ音楽院の教授を務める。多くの弟子の中からは数々のコンクール入賞者が出ている。海外ではソフィア音楽院(ブルガリア)、ギルドホール音楽学校(イギリス)、ベルン音楽大学(スイス)、カールス・ルーフェマンハイム高等音楽学校(ドイツ)、バルセロナ音楽学校(スペイン)、ワシントン・カトリック大学、パロマール大学、ペッパーディン大学(アメリカ)でも教鞭をとっている。また多くの国内、国際コンクール審査員としても活躍し、その芸術的かつ教育的功績に対し、ポーランド国家賞を与えられた。

得意とする作曲家

ショパン、バッハ、シマノフスキ

マリア・シュライバー


ポーランド芸術アカデミーを卒業後、モスクワのチャイコフスキー音楽院でタチアナ・ニコラーエワとルドルフ・ケレルの指導のもと勉強を続ける。ソリストとしてポーランド、ヨーロッパ、アジア、オーストラリアで演奏し数多くのレコーディング活動を行っている。彼女の多岐にわたるレパートリーの中で、特にショパンとドビュッシーは専門分野であり造詣が深い。コンサートでの演奏活動以外にも音楽解釈についての講義リサイタルなども行っている。ワルシャワのショパン音楽院の教授としても従事し、彼女の講義を受けに毎年生徒達が世界中から集まってきており、ポーランドにとどまらず海外においても公開レッスン、マスタークラスなどをこなす一方、コンクールの審査員としても活躍をしている。

得意とする作曲家

ショパン、ドビュッシー

ケヴィン・ケナー


1990年にワルシャワの国際ショパンコンクールにて最高位を与えられる。つづくモスクワでのチャイコフスキーコンクールでは第3位に輝いた経歴を持つ。17歳で国際ショパンコンクール入賞、また1990年に国際ショパンコンクールでは最高賞に加え、国民賞とポロネーズ賞を獲得。同じ年のモスクワ・国際チャイコフスキーコンクールでの最高位3位、さらにロシア音楽の解釈で特別賞を受賞。これまでに1990年ロンドンの国際テレンス・ジュッド賞、1989年にはフォートワースのヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール、そして1988年のソルトレークシティではジーナ・バックアゥワー国際ピアノコンクールで入賞を果たす。世界最高レベルのハレ管弦楽団、BBC交響楽団、ワルシャワフィルハーモニー管弦楽団、ベルギー放送管弦楽団、NHK交響楽団、そしてアメリカ国内オーケストラとの協演を多数こなしている。

得意とする作曲家

ショパン、シューマン、ラヴェル、ベートーヴェン、シューベルト、メンデルスゾーン、チャイコフスキー

ジョルジュ・ナードル


1943年ブタペスト生まれ。ピアニスト・リスト音楽院教授であり、バルトークやリスト研究の大家としても知ら
れている。

 10歳よりピアノを始める。バルトーク音楽院卒業後、リスト音楽院にてティボル・ヴェーネル氏に師事。1965年、リスト音楽院学生ピアノ・コンクールで優勝。直後に旧東ドイツ、ワイマールの音楽週間にソリストとして招待される。1966年、リスト・バルトーク・ピアノ・コンクールで優勝。優秀賞を得てリスト音楽院を卒業したのち、奨学生としてモスクワ音楽院に留学。レフ・ブラセンコ氏などに師事する。2年間のモスクワ留学を終え、リスト音楽院に教授として迎えられる。現在では同学院の中心的存在である。彼の生徒はヴァン・クライバーン、マリア・カナルス、マリア・カラス、ブタペスト・リスト、モントリオール等、数々の国際音楽コンクールで優勝している。

 1975年・78年にフランツ・リスト室内管弦楽団のソリストとして全米公演に同行し、大成功を収める。また、ピア
ノ演奏法についての講座を世界各地で行なっており、日本においても教育者としても名実ともに高い評価を得ている。 ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクール、モントリオール国際音楽コンクール、マリア・カナルス国際コンクー
ル、マリア・カラス国際コンクール、ブダペスト・リスト国際ピアノ・コンクール等、代表的な国際コンクールの審査
員を務める。ナードルは自国ハンガリーの大作曲家であるリストやバルトークの研究者として世界中に知られている。また、彼の講義はひじょうに情熱的で聴く者すべてを引き込んでしまう魔力を持っている。

得意とする作曲家

リスト、バルトーク、ショパン、ハイドン

イェルジ・スリコフスキ


ポーランド生まれ。1964年全ポーランド青年コンクール第1位。1967年ジュネーブ国際コンクール第1位。現在、国立グダニスク、国立ビドゴシチ両音楽院ピアノ科教授。 1991年より5年間、武蔵野音楽大学ピアノ科客員教授。日本の音楽教育に携わり、リサイタルやショパン演奏法の公開講座で大変講評を得た。ウィーン夏期国際音楽セミナー、ドゥーシニキ夏期ショパンセミナーでも講師を務め、毎年夏には自宅を開放して夏期セミナーを開催している。ショパン、シマノフスキ、パデレフスキの作品、また故ペルルミュテールに師事し、ドビュッシーやラヴェルにも造詣が深い。門下からは、ショパンコンクール第5位のエヴァ・ポブヴォツカなど、優秀なピアニストを輩出しており、クリスティアン・ツィンメルマンも1975年ショパンコンクール優勝の前に師事を仰いでいる。パデレフスキ国際コンクール審査委員長。ショパン国際コンクール予備選考審査員。ポーランドショパン協会奨学金コンクール審査委員長。

得意とする作曲家

ショパン、ロマン派全般

フランシスコ・モノーポリ


「私はあなたの解釈を支持する」とカルロ・ジュリーニは、モノーポリの弾くベートーヴェンのディアベリ変奏曲を聴いて述べた。彼はイタリアのバルレッタに生まれ、アルゼンチンのピアニストHector Pellに師事し、最優秀ディプロマを取得。ペスカーラにて学ぶ。その後Perticaroliに師事。また1983年にはランチャーの賞、84年にはペルティかローリ特別賞を受賞。ロンドン、スペインでも学ぶ。イタリア、フランス、ドイツ、スペイン、台湾、アルバニア、ルーマニア、イギリス、日本などで450以上のコンサートを行い、各国の主要オーケストラと共演。ペスカーラ、カタンザロ、トッレ・ペリーツェ、カリアリなど、国内外の国際コンクールの優勝者である。また録音も多数。テーラモの音楽学校のピアノ科教授を経て、現在バーリのN.ピッチーニ音楽院の主任教授を務めている。パリ、エコール・ノルマルでもマスター・クラスのコースを担当。さらに、ジーナ・バックワウアーやローマのショパン・コンクールなど、60以上のコンクールの審査員として各国より招待されている。作曲の分野でもディプロマを取得しており、指揮・管弦楽法に裏付けされた、しっかりした音楽には定評がある。1984年以来、Culutura e MUSICA G-Curciの代表であり、プレミオ・マウロ・パオロ・モノーポリコンクールの芸術監督を務めている。彼の功績に対し、93年Disfida di Barletta賞、94年Telethon BNL賞、99年Teatri Aperti賞が贈られている。

得意とする作曲家

モーツァルト、ベートーヴェン、ロシア作曲家

ヨアンナ・ドマンスカ


クラクフ音楽院にてジャン・ホフマンにピアノを師事する。1982年、カトヴィツェ音楽院にてアンジェイ・ヤシンスキのクラスを主席で卒業。その後、フランス政府の補助金を得て1986年から1987年、フランスのリヴィア・レフの下で研鑚を積む。
1981年ロン・ティボー国際コンクール、1982年カーサグランデ国際ピアノ・コンクール(イタリア、テルニ)、同年ポーランド・ピアノ・フェスティバル(ポーランド、スウプスク)等多数の国際コンクールにて入賞している。また、アッシジ音楽祭、フィレンツェ五月音楽祭、ラジオ・フランス音楽祭(モンペリエ)、ワルシャワの秋、ポーランド・ピアノ・フェスティバル、ドゥシュニキ・ズドルイ国際ショパン音楽祭等、多くの音楽祭に招待されている。
レパートリーは幅広く、カロル・シマノフスキの解釈には定評があり、ブラームスやラヴェル、モーツァルト、ショパンも得意としている。ドマンスカは3枚シマノフスキのCDを録音している。最初の録音は1995年にイギリスのオリンピア社よりリリースされ、高い評価を受ける。
2007年には、ポーランドのDUXより2枚目のアルバム(シマノフスキのバレエ作品<ハルナシェ>のピアノ・ヴァージョンの世界初演)がリリースされ、ポーランドの名ピアニスト、アンジェイ・タタルスキとの共演は話題となった。また、同年シマノフスキのピアノ・ソロ作品集もリリースし、ピチカート社より、世界的に評価の高いスーパーソニック賞を受賞する。この他にも、ポーランド放送、イタリア放送、フランス放送との録音も行っている。
現在はカトヴィツェ音楽院にて教鞭を執る傍ら、ポーランド国内外のコンクール審査やマスター・クラス、講義などで幅広く活躍している。2011年よりシマノフスキ音楽協会の会長を務めている。

得意とする作曲家

ショパン、シマノフスキ

イェルジ・スティルチンスキ


フレデリック・ショパン音楽大学(旧ワルシャワ音楽院)教授、ピアノ科学部長
1957年生まれ。6歳よりピアノを始める。ビェルスコ=ビャワ(ポーランド)の音楽高等学校を修了した後、カトヴィツェ音楽院にてアンジェイ・ヤシンスキに師事し1981年に同校を主席で卒業する。その後ロンドンに渡り、ジョン・ビンガムの元で研磨を積む。
1983年、ポーランドピアノ音楽祭(スウプスク)にて第1位を、国際音楽コンクール(サラゴサ)にて第2位を獲得する。その後もコンサート・ピアニストとしてオーストリア、ブルガリア、中国、チェコ、フランス、スペイン、韓国、クウェート、ドイツ、ポルトガル、イタリア等世界中で演奏ツアーを行う。またショパン音楽祭(ドゥシニキ)、ロッケンハウス音楽祭、La ChaiseDieu音楽祭等、多くの音楽祭にも出演する。
CD等の録音も多く行っており、ノクターン・ワルツ・ポロネーズ全集、ソナタ第2番、その他小品のショパン作品に加えてチャイコフスキー、ベートーヴェン、レーガー、シマノフスキ、そしてショパン、ドブリジンスキー等のピアノ協奏曲、近年では2005年のジョセフ・ヴィエニャフスキによるソロ作品及びチェロソナタの収録等、その数は13枚に及ぶ。
1989年以来、フレデリック・ショパン音楽大学(旧ワルシャワ音楽院)の教授を務め、教育者としても活躍している。2005年~2008の間ピアノ、ハープシコード、オルガン科の学部長を務め、2008年~2012年にかけても再度、同学部長に選任される。

得意とする作曲家

チャイコフスキー、ベートーヴェン、シマノフスキ等

ラフィ・ベサリアン


「ホロヴィッツらのロシアンピアニズムの正統を受け継ぐ存在」(ショパン誌)と評されたラフィ・ベサリアンは、人を引きつける熱烈な演奏家としてリサイタルやオーケストラのソリスト、また室内楽奏者として世界各地で演奏活動を行い、その迫力と豊かな詩情そして自由に使いこなす卓越したテクニックの彼の演奏は常に高い評価を受け、国際的名声を得る。
アルメニアのエレバン・コミタス音楽大学及び大学院において、セルゲイ・ベルセギアンに師事。音楽修士号、及び博士号を取得。更にアメリカ・ローワン大学大学院卒業。マンハッタン音楽大学において著名なピアニスト、バイロン・ジャニスおよびサラ・ビュクナー師事、アーティスト・ディプロマを取得。モスクワ国立音楽院においてアレクセイ・ナセドキン、ヴィクター・メルツァノフ、ナウム・シュタルクマンに師事し研鑽を積む。また、アメリカ、イタリア、日本(2008年よりピティナコンペティション・2010年大阪国際音楽コンクール)でのピアノコンクールの審査員も歴任する。アメリカ・ローワン大学音楽部教授を経て、現在ウィスコンシン州立大学音楽学部准教授。
アーティスト国際コンクールで優勝をおさめた事により、カーネギーホールにおいてニューヨークデビューを果たし、その後 “傑出した優秀演奏家”として、ザ・アーティスト・インターナショナルの招聘によりニューヨークのマーキンホールでリサイタルを行う。そのほか彼はMTNAナショナルコンクール、ジョセフ・ホフマン国際コンクールなどで優勝。ベサリアンの演奏活動の広がりは北米、南米、ヨーロッパ、ロシアそしてアジアに及ぶ。
近年、大阪シンフォニカー交響楽団とのラフマニノフ第3番コンチェルトおよびソロリサイタル(大阪いずみホール)をはじめ、”キーボード・カルマ・シリーズ”リサイタル、”オーバチュア”リサイタル(カナダ)、メトロポリタンオペラのジョン・ギャリソンとの共演(ニューヨーク)する。また、ソロリサイタル全曲が1時間半にわたって国営ラジオ局により放送された。2008年には、サラ・ビュクナーとの共演でバッハ=ブゾーニ2台のピアノ作品CD第1集がコーチ・インターナショナル社からリリースされ、第2集が2010年に世界各地にむけて発売された。

得意とする作曲家

ラフマニノフ、ガーシュウィン、プロコフィエフ

ズビグニェフ・ラウボ


1969年、ポーランドに生まれる。17歳の時シマノフスキ・ピアノコンクール第4位入賞、ブゾーニ国際ピアノコンクール(1991年ボルツァーノ)入賞、及び第3回リスト国際ピアノコンクール第4位入賞(1992年ユトレヒト)受賞。カトヴィツェ音楽院でアンジェイ・ヤシンスキに師事、首席で卒業。同校にて准教授を務めた後、現在は教授として教鞭をとる。
ラウボはポーランドの各主要オーケストラとも共演を頻繁に行っており、協奏曲のレパートリーは30曲以上にものぼる。またショパン音楽祭(バンクーバー)、“Poolse Meesters”(ベルギー)等、音楽祭への出演及びカンポス・ド・ジョルダン音楽祭(ブラジル)でのコンサート、マスタークラス出演等、活動は多岐に渡る。録音も国内外のレーベルと多く行っており、ドイツ・グラモフォン(日本)、RCA、DUX、Żuk Records等からCDをリリースしている。
室内楽の演奏でも幅広く活躍しており、今までにシレジア弦楽四重奏団、ヴィラヌフ四重奏団、カメラータ弦楽四重奏団、またバルトウォミェイ・ニジョウ、ウルスラ・クリゲルなど有名なソリストとの共演も多く行っている。ピアノ教育者としても活躍しており、カトヴィツェ音楽院にて教鞭をとる傍ら、各地のマスタークラスの講師やポーランド・フレデリック・ショパン・ピアノコンクール(2010)等ピアノコンクールの審査員としてその活動の場を広げている。
ラウボの教え子はリスト国際ピアノコンクール(ブロツワフ)、リスト・コンクール(パルマ)、ショパン国際ピアノコンクール(ワルシャワ)等各コンクール入賞、ポーランド・ピアノ音楽祭(スウプスク)出演等、国内外で幅広く活躍をしている。

エルジュビエタ・タルナフスカ


フレデリック・ショパン音楽大学 教授、ヴァツェヴィチ音楽大学(ウッジ)教授
文部科学省芸術教育委員会 副会長
第9回ショパン国際ピアノコンクールファイナリスト、1977年ロン・ティボー国際コンクール入賞。サンクトペテルブルグ音楽院にてL. Umanskaja教授に師事、ショパン音楽大学にてレギナ・スメンジャンカに師事。その後、モスクワ音楽院にてヴィクトル・メルジャーノフ、パリにてモニク・アース、ニューヨークにてユージン・リストの元で研鑚を積む。メリーランド大学(米国)にてネリータ・トゥルーに師事、修士課程修了。
これまで国内はもとよりヨーロッパ・米国・ロシア各地で数多くのリサイタルを開催すると同時にオーケストラのソリストやポーランドピアノ音楽祭(スウプスク)、ドゥシニキ国際ショパン音楽祭(ドゥシニキ・ズドゥルイ)等多数の主要な音楽祭に出演する等活躍。
帰国後は演奏活動を活発に行う傍ら、国内の主要な音楽院にてレクチャーリサイタルやマスタークラスを行い、教育活動の場も広げると同時に、ポーランド・スペイン・ウクライナ・ニューヨーク等でピアノコンクールの審査員も多く務める。またCD・ラジオやTV向けの録音や、テレビ放送向けの音楽番組の執筆等も行う等、その活動の幅は多岐に渡る。

エドヴァルト・ヴォラニン


フレデリック・ショパン音楽大学 教授
ショパン音楽大学にてピアノをヤン・エキエルとブロニスラヴァ・カヴァラ、室内楽をJerzy Marchwińskiに師事、大学院ではヤン・エキエルの指導のもと、修士課程を修了。1989年ダルムシュタットショパン国際コンクールにて優勝、第3回パルマ・デ・マリョルカ ショパン国際コンクールにて第2位を受賞するなど、国内外の多数のコンクールにて優秀な成績を収める。第11回ショパン国際ピアノコンクールではポーランド代表として健闘した。
ドメニコ・スカルラッティから現代作曲家まで、幅広い時代の作品をレパートリーに持つ。ソリストとしてだけでなく、室内楽奏者としても信頼が厚く、ヨーロッパ、アジア、中東、アフリカなど世界各地の主要都市や音楽祭で演奏活動を行っている。また国立ポーランド放送交響楽団、ワルシャワフィルハーモニー管弦楽団、ポーランド国立放送カトヴィツェ交響楽団等、ポーランドを代表する指揮者・オーケストラを中心に共演を重ねている。

ヴォイチェフ・シュヴィタワ


カトヴィツェ音楽院(シマノフスキ音楽院) 教授 及び 同校副学長
第66回ロン=ティボー国際コンクール審査員、第16回ショパン国際ピアノコンクール予選審査員

カトヴィツェ音楽院にてヨゼフ・ストンペルに師事。卒業後、カール・ハインツ・ケメリング、アンドレ・デュモルティ
エ、ジャン=クロード・ヴァンデン・エイデンの元で研磨を積む。バルドリーノ国際コンクール(1位)、ロン=ティボー国際コンクール(第2位、聴衆賞、ヨーロッパ参加者最高位受賞)、モントリオール国際音楽コンクール、第12回ショパン国際ピアノコンクール(1990年ワルシャワ)ではポロネーズ賞他特別賞受賞。演奏活動は世界中に渡り、国内外の著名なオーケストラや室内合奏団と共演を重ねる。CD録音も数多く、これまでにフレデリック・ショパン・グランプリ・ディスク大賞受賞やポーランドのグラミー賞といわれるフレデリック賞を授与される。

マグダレーナ・リサク


シレジア音楽協会会長
カトヴィツェ音楽院(シマノフスキ音楽院) 助教授

カトヴィツェ(ポーランド)の音楽一家に生まれる。1992年には国際シマノフスキ・コンクールにて優勝すると共にシマノフスキ最優秀演奏家としての賞を授与された。1994年シマノフスキ音楽院(カトヴィツェ音楽院)をヤシンスキ門下生として首席で卒業。その後、バーゼル音楽大学にてクリスティアン・ツィマーマンに師事。
1995年に第13回ショパン国際ピアノ・コンクールにて6位入賞後、ヨーロッパ、日本、北米など世界各国の有名ホールにてコンサートを行う。2000年にはジョルジ・シャンドール・リゲティ本人に演奏を高く評価され、彼の<前奏曲>を作曲家本人に向けて演奏した。2008年にカトヴィツェ音楽院(カロル・シマノフスキ音楽院)にて芸術博士号を取得、現在は同院にて助教授を務める傍ら、国内外のマスタークラスや講義などで幅広く活躍している。シレジア音楽協会の創立者・現会長。第12回・第13回・第14回ショパン国際ピアノコンクールinASIA審査員、第15回ショパン国際ピアノコンクール予備審査審査員(2010年)。

アンナ・グレツカ


アンナ・グレツカは、古典派から近現代に至るまで幅広いレパートリーを持つポーランドのピアニスト。グルジェゴルス・ノヴァーク、アントニ・ヴィトを始め著名な指揮者と共演多数。またバイオリニストのクシシュトフ・バコヴスキ氏とともに録音したカロル・シマノフスキの“ヴァイオリンとピアノの作品集”(2005年)はイギリスの月刊誌“Classical CD Reviews MusicWeb”にて“月刊ベスト”賞を受賞。1991年、カトヴィツェ音楽院にてヤシンスキ教授のクラスを優等卒業。最優秀の成績でトロッシンゲン音楽大学(ドイツ)にてV・メジャーノフ氏の元で2年間学ぶ。文化省およびドイツ学術交流会奨学生。ブラームスコンクール(ハンブルク)、ポーランドピアノ音楽祭等多数のコンクールで入賞。またこれまでに日本、英国、米国、その他ヨーロッパ各国にてコンサート活動を行い、ベルリンフィルハーモニックホール、モスクワ音楽院大ホール、ベーゼンドルファーホール(ウィーン)、エルミタージュ劇場(サンクトペテルブルグ)など世界の主要なホールで演奏。モアホールでのデビューリサイタルでは“グレツカの才能は(中略)神から授かった才能だ。”と評される。自身の父であるヘンリク・ミコワイ・グレツキ、ミコワイ・グレツキの作品を中心に、これまでに多数の現代音楽の初演も行っている。また演奏活動と並行して後進の指導にも力を注いでおり、門下の中からは多数のコンクール入賞者を輩出している。

2016年10月より、カトヴィツェ音楽大学 ピアノ科学科長。

イェルジ・ロマニウク


フレデリック・ショパン音楽大学 教授

ウッチ音楽高等学校にてZ・イェスマンに、その後ショパン音楽アカデミー(旧ワルシャワ音楽院)にて、Z・ジェヴィエツキに師事した。大学卒業直後、ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団とブラームスのピアノ協奏曲第1番を共演しデビュー。その後、モスクワ音楽院でヤコフ・ザーク、エリソ・ヴィルサラーゼの下で研鑚を積むと同時に、旧ソビエト連邦を旅し、数多くのコンサートとリサイタルを成功させた。その後フレデリック・ショパン音楽アカデミーにて教鞭をとる。1979年文化芸術大臣賞第2位、またこれまでに優秀指導者賞(ポーランド)を多数受賞。活動の場は広く、英国、ドイツ、ベルギー、スペイン、デンマーク、イタリア、旧ユーゴスラビア、ハンガリー、チェコ、キューバ、フランス、オーストリア、アラブ首長国連邦、中国等で演奏。またバッハからガーシュインまで膨大なレパートリーをもつ。ポーランド国内外にて録音も多数、特にショパンは数多く録音しており常に高い評価を得ている。

ヴァディム・モナスティルスキー


エルサレム芸術大学教授
同大学ピアノ学科長

サンクトペテルブルグ音楽院元教授、ロシア名誉芸術家。モスクワのグネーシン音楽大学にて、テオドール・グートマンの元で音楽教育を受ける。リスト・バルトーク国際ピアノコンクール(1976年・ブタペスト)にて第3位、ヘンデル国際コンクール(1979年・ドイツ)にて優勝。モ1980年ハンガリーで開催された国際レコーディングコンペティションにて最優秀ディスク賞を受賞。演奏活動は世界各国に及び、モスクワフィルハーモニー、レニングラード交響楽団、ブダペストフィルハーモニー、エルサレム交響楽団、テル・アヴィヴフィルハーモニー、ヨハネスブルグ国立交響楽団、ケープタウン交響楽団等、数多くのオーケストラとの共演を著名な指揮者の下で行っている。
また優れた教師として、ブルゴス音楽祭(スペイン)、サミット音楽祭(ニューヨーク)をはじめ多くの国際的な音楽祭に招待され、レクチャーの講師や、ソリスト・室内楽奏者として活躍。また、ヨーロッパ、アジア、オーストラリア、アフリカ、北米等で幅広く活動的にマスタークラスを行っている。